錦昌号(きんしょうごう)は、長崎の花火屋さんです。

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    ※赤字は休業日です

     錦昌号(きんしょうごう)の前身は明治時代に長崎の新地町に雑貨商としてあった「振隆号」と「益隆号」です。その流れを受け継いで錦昌號(号)は大正10年頃に、初代・張 則浩が 長崎新地の現在の場所に店を興したのが始まりです。

     錦昌號(号)の号には、商店の意味があり、中華街の商店には号のつく店が多いのはその為です。また、号の上にくる文字は、めでたい吉祥の意味の有る文字を重ねる事が常です。あとは語感とか語呂などを考えて命名されたようです。

     当所は、米やメリケン粉、砂糖などを商っていました。大正13年頃から花火を取り扱うようになりました。その後は、砂糖と花火が主要な取り扱い品となり、新地での基盤を確保していきました。しかし、戦時中は、どちらの品も統制品となり、苦しい時代が続きました。

    錦昌號(号)の歴史イメージ01

     当所は、米やメリケン粉、砂糖などを商っていました。大正13年頃から花火を取り扱うようになりました。その後は、砂糖と花火が主要な取り扱い品となり、新地での基盤を確保していきました。しかし、戦時中は、どちらの品も統制品となり、苦しい時代が続きました。

     戦後、すぐに砂糖と花火の商売は再開されましたが、砂糖は、しばらく統制品のままでしたので、配給の確保がたいへんでした。その後、砂糖の統制が解除された後は、砂糖の値が下がり、昭和49年に、取り扱いを止めました。

     花火は、火薬を使った商品ですので、戦時中は当然、戦後しばらくは生産も入荷もできない状態でした。当所、線香花火と電気花火(糸付花火)、火矢、爆竹など、種類は現在と比べるとかなり少ないものでした。昭和30年代に入ると種類は急激に増え、現在の基本的な分類までの花火はこの時代に作られました。

    錦昌號(号)の歴史イメージ02

     現在は、ピーク時期には約400種類の花火を取り揃え、夏の長崎の風物詩として市民の皆様に「新地の花火屋」の愛称を頂き、愛されるようになりました。

    錦昌號(号)の歴史イメージ03

    ▲昭和40年頃、夏の風物詩・花火売りで賑わうお店の風景

    錦昌號(号)の紋章

    初代・張 則浩の妻の名を張 鳳宋といいます。その中の文字「鳳」は「鳳凰」(中国古代の想像上の動物)の意味があります。
    「鳳凰」をイメージして作られたのが、「錦昌號」のマークとなりました。
    鳳凰の形を模して精霊船を作成した初代・張 則浩の精霊船もその妻・張 鳳宋の精霊船の形の船でした。非常にユニークな形で、精霊流しの観客の皆さんの目を集めました。

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